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内容は「どうして今、庄司薫なのか?」についてのお話で、話をしてくださったのはnuma booksの内沼さんと、みんなの叔父さん・岡本さんのお2人。
庄司薫という作家すら知らなかった僕でしたが、それはそれはとても楽しい時間でした。いわゆる「庄司薫4部作」と言われるものの中からお2人が好きな台詞や描写をピックアップして、それについて「薫くんのここがかっこいい」「この小林の台詞がしびれた」「やっぱり東京が一番好き」などと、いい大人の2人がいちいち解説、感想を挟んで進むスタイルだったので、小説のストーリーについて全く分からない僕でも心から楽しめたのだと思います。ありがとうございました。
この「庄司薫4部作」は1969年のお話で、その年まで続いた東大闘争の煽りを受けて東大受験をできなかった「薫くん」の悶々とした日常を描いています(まだ一冊しか読めていないので確かではないけどたぶんそうです)。1969年に僕はまだ生まれていなかったので、この時の若者の感覚というのは推測でしかないのだけど、「学生運動なんて意味ない」と感じてた人はもちろん、実際に反体制の活動をしていた人の多くも「結局は自分たちが勝てない」とどこかで考えていたのではないかな?と思います。というか、そもそも、「何に対して自分たちは戦っているのか」「結局、どうなったら勝ちなのか」を分かっていなかった人が多数を占めていたような気がします、恐縮ながら。もちろん僕もわかりませんので、こんないい加減なことを勝手に言っています、すいません。
でもだからこそ、僕らは「今、庄司薫を読む」のかもしれません。岡本さんも言っていましたが、1969年が知性から感性へと、そして絶望の時代へと転換する分水嶺であったように、2011年(又は2012年)もまた、時代の大きな分水嶺である、とこのトークセッションを聴いた今、僕も強く感じています。「絶対にかないっこない」と頭のどこかで分かっている大きな見えない力に対して、冷めた時代を生きてきた冷たい人間の僕がどう対峙するか(もしくは逃げて逃げて逃げまくるか)、そのことをちゃんと考えるいいきっかけになりました。主人公の「薫くん」のように、僕も、それから僕の周りの人々のほとんどが曖昧でどっちつかずでだらしない人間ですが、まぁそれは人間らしさということで前向きに受け入れて、その前提で時代の分水嶺である「今」を一生懸命生きようと思います。ちょっと大げさにいうと、そんな感じです。
・・・と、かなり意味不明な話になってしまいました、すいません。
ところで昨夜、4部作のうちの1作目「赤頭巾ちゃん気をつけて」を買ったのですが、速攻読み終えてしまいました。回りくどいわりにチョーライトな文体ですが、友達との会話でもそういうことがあるように、何度でも思い出して読み直してスルメのように味わえる台詞がたくさんあります。順番に読むのをオススメします!僕もこれから2作目を買いに本屋に向かいます。

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・B&B
