東京のこんぴらさん |
7 years ago |
港区愛宕にできた新しいスペースのレセプションで岡本仁さんに会い、話をしていると「この近くにはこんぴらさんもある」「そこは(讃岐)丸亀藩の土地だったところ」と、さすがは香川案内人らしい情報をいただきました。でも僕は「ん?」と考えてしまいました。というのは東京のこんぴらさんは港区ではなくて、文京区本郷にあると思っていたからです。というか、本郷にあるこんぴらさんは近所ということもあって数回参拝したことがあるので間違いはないはず。気になったので調べてみました。
岡本さんが教えてくれたこんぴらさんは通称「虎ノ門のこんぴらさん」で(讃岐)丸亀藩のお殿様がいつでもお参りができるように、讃岐金毘羅宮(本宮)を分社化して江戸の丸亀藩敷地内に持ってきた、とのことです。僕はこの「虎ノ門のこんぴらさん」のことを知りませんでした。で、僕ら東京東側の人間に馴染みが深い、本郷にあるこんぴらさんは通称「水道橋のこんぴらさん」と呼ばれているもので、こちらは色々な変遷があって今の場所(本郷)に落ち着いたそうです。面白いなと思ったのは現在この「水道橋のこんぴらさん」のある場所というのが(讃岐)高松藩の元藩主である松平家が昭和に入って寄進した土地だということ。つまり、東京にある2つの「こんぴらさん」はそれぞれ、讃岐丸亀藩と讃岐高松藩にゆかりがあると言えます。(小さな讃岐に隣り合うこの二藩、仲はあまり良くなかったそうです。)
現在、正式には(この正式という意味がよく分からないのだけど)金刀比羅宮の東京分社は「水道橋のこんぴらさん」ということになっています。この東京分社は昭和30年代に制定されました。でもね、讃岐の金刀比羅宮がある「琴平町」を昔の地図に当てはめると、高松藩ではなくて丸亀藩の領地になるんです。そんな縁的観点から見ても、また僕の心情的にも(妻の実家が丸亀)、元丸亀藩邸に建っている「虎ノ門のこんぴらさん」を金毘羅宮の東京分社にしてあげたくなります!そう思いません?
これには何か知ってはいけない力、大人の事情が働いているのでしょうか?金刀比羅宮の東京分社が制定された昭和30年代といえば、全国で戦後の復興から高度経済成長に入りかける時期です。香川県(讃岐)ではどうだったかというと、昭和30年代には空襲で焼け野原になった高松市街地のインフラの再構築が進み、道路の拡張と共に鉄道が発達していました。高松琴平電気鉄道(現在のことでん)の隆盛期です。その名の通り、高松と琴平(こんぴらさん)を結ぶこの路線の重要性が増すことで、あくまで推測ですが「高松とこんぴらさん」との経済的側面を含めた「つながり」がより強くなったのかもしれません。なので、金刀比羅宮の東京分社は、本来なら丸亀藩派の「虎ノ門のこんぴらさん」にすべきだけど、なんとなく将来性を感じる高松藩派の「水道橋のこんぴらさん」にしちゃえYO、となったのかもしれません・・・なんて、もちろんあくまで僕の推測ですが。
で、どうやら「虎ノ門のこんぴらさん」も「水道橋のこんぴらさん」もお互いに「あちらとは関係ありません」と言っているみたいで、まぁこれまでに色々あったとは思うのですが、時は流れもう21世紀なんだし、そこはお互いに言い分はあるでしょうけど仲良くしていただけたらこちらとしては気持ちいいし、ポジティブな気分でふたつの東京のこんぴらさんを参拝できたらきっとご利益倍増なのになぁ、なんて単純な僕は思っています。